親父の在宅療養と看取りになるまで ~その1~
2020年の8月に親父の状態が徐々に悪化してきている。
2015年に肺がんが見つかり、ステージⅡだったので右下葉を摘出(原発)。
その後、本人の希望で化療も行っていたが、体力の低下、急激な体重減少、副作用、重度の貧血状態などを合併し、本人の希望で化療を中止した。
親父は肺がん以外に狭心症も患っていたが、母(素人だけど、そういうのが好きであれこれ調べてやってみるタイプ)の食事療法と自然療法に基づいたケアを中心に切り替えて、じわじわと調子がUPしていた。
親父は二か月に一度、定期受診があったが、同行することを嫌がりいつも一人で受診していた。医療者である僕が同行することを嫌がるのは理解できるのだが、音楽家の姉が同行する事すら嫌がっていたのである。
そうこうしている内に「動いたら息苦しいから酸素を使いたい」と言い始めた。
そろそろマズいかな?と思いながら様子を見ていたが、やはり動作時の呼吸苦は明らかで、Spo2も85%まで低下するため、完全にHOT適応レベルと判断できる状態。
親父も自分の状態をわかっていた様子で、僕と一番上の姉を呼び(もう一人の姉は外国にいる)、母と4人で家族会議となった。
親父から生前相続に関しての話だった。
日に日に弱っていく自分の状態を察していたのだろう。
親父が息切れしながら説明し、一通り、説明し終えた。
誰も親父の意見に反する者はいなかった。
「他に、何か聞きたい事ある?」と親父がいう。
僕が「父ちゃんは、最後は病院がいい?それとも、お家でがいい?」と質問した。
一瞬、母が「不謹慎な事を聞くもんじゃないよ?」というような目で僕を見たが、
それは家族全員が言葉には出さないけど、皆が知りたがっていたことだった。
親父は「ああ、家がいい。できたら、お家でが」と。少しだけ笑って返答した。
僕は即答でOKした。僕もそのつもりだったし、姉も、母も同意見だった。
ほんの数分の会話だったけど、すごく家族が団結した瞬間でもあった。
親父は、自分の建てた家で、自分のやりたいように過ごして死にたいと。
その希望を叶えるのは、今まで散々迷惑かけてきた自分たちが支える事で十分に叶えられる事だと思えたし、これが自分に出来る最高の親孝行になるかもしれないと強く思った。
翌日はたまたま定期受診だったので、本人と同行して定期受診へ。
血液検査はちょいと貧血だけど、全然問題ないレベル。
血圧良好。脈拍100台なんでちょっ早め。
主治医の診療開始。ついさっき撮ったXP画像を少し離れた場所から見てびっくり。
左肺はメタで4/5覆いつくされている。
そりゃ苦しいわ。というか、これ結構やばいというレベル。
僕は呼吸器は全然詳しくないんだが、僕が見てもやべえと思う状態でした。
で、主治医から、小さな気胸も見つかっているし、との事で入院の流れになりそうな勢い。
これはマズい。親父は、この病院に入院すると親父は一切飯が食えなくなる(味が駄目で、今までも母親が持ち込んだご飯を食べていた経緯あり)。今回はコロナ真っ盛りなので、母親の持ち込みもできない。せっかく体力回復してきているのに、これでは本末転倒になってしまう。
肺がんでの気胸。小さいやつ。処置が必要というわけではなさそうで、安静だけならどうにか連れて帰りたい。どうするか。という事を必死に考える。
案の定、主治医から「とりあえず、入院して安静に…」との言葉に、親父も困った表情で医師の説明に小さく頷いている。
その状況で「あの、先生、すみません、僕、長男なんですけど、うちの父は在宅看取り希望なんです。たまたま、昨日家族会議でそういう本人の意向があって、その場で家族全員一致で決定したので、できれば入院じゃなくて自宅でお願いします」とお話した。
主治医は少し戸惑っていたが
主治医「それはBSCでってことでいいの?」
僕「はい。BSCです。在宅看取り希望です。なので、できたら在宅酸素療法を導入して頂きたいと思いまして、本日はお願いに参りました」
主治医「いやいや、在宅酸素療法はね、入院して練習してからでないとできないよ」
親父「あの、先生。息子は作業療法士でして、その点は前に大丈夫と話しておりました」
主治医「あんた、在宅酸素指導やったことある?」
僕「仕事で何人も指導したことがあります。なので大丈夫です」
主治医「ほうほう、なら、大丈夫か。・・・じゃあ、今日からさっそく手配してやってみるかね?」
僕「お願い致します」
どうにか、親父の入院を避けることができた。
なぜか、その日は親父にとても感謝された。
僕が帰ってあとも姉に「今日は息子がとても大きく見えた」と話していたそうだ。
親から言われるこれ以上の褒め言葉はない。
その2に続きます
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