在宅看取りの終わり。

2021年3月5日。朝7時10分。親父が亡くなった。

享年77歳。

二日前の3月3日の夜中におそらく痰詰まりが起こって体内の酸素量が低下。

その日も自分でしっかり痰を出せていたので、吸引など全く考えもせず、ましてや吸引器を借りておくレベルでもなかったため、なんの処置も出来なかった。

僕は親父の住んでいる実家から来るまで15分程のところに住んでいる。

夜中3時に電話で僕の実家に泊まっていた姪から電話がかかってきた。

「大変!おじいちゃんの酸素が低い!!すぐ来て!!」

とりあえず、訪問看護に電話するように指示。

急いで車を運転して実家に向かった。
Spo2:38%らしい。

その日、たまたま、酸素ボンベを使用して7Lまで流す方法を姉に教えていたのがせめてもの救い。
でも、今、7Lでその数値だと。

HOT(在宅酸素用の酸素濃縮器)も足してマスクで流せばボンベ7L、濃縮機5Lで12Lは酸素稼げる。

CO2ナルコーシスが怖い。だが、低酸素脳症で親父を死なせたくはない。

究極の決断を迫られることを考えながら実家に向かった。

実家に到着したら、
78%まで上昇していた。
意識レベルはJCSⅢ-200。
開眼したまま一点凝視。瞬きなし。瞳孔も散大。

こりゃダメかなと正直思ったが、生存してはいる。

と、迷いながらも、
低酸素脳症はどうしても避けたかったので、酸素濃縮器から5Lネーザルで流して、
7Lボンベから流しているマスクの中にネーザルを入れて理論的には12L。

数分後Spo2:92%まで持ち直した。

意識レベルはどんなに呼びかけてもⅢ群。

その時、訪問看護の指示だったのか、救急車の音がする。

おいおい、待て。在宅看取りだぞ。救急車呼んでどうするんだ。と正直思った。

で、救急隊到着。

あれこれ事情聴取に姉が対応。

で、母親が「お願いします、助けて下さい」と。

自分がすぐさま母の側に駆け寄り、
「母ちゃん、ちょっと待って!在宅看取りだよ?助けるの?」
と尋ねると
母は「助けるさ。当たり前さ。」と。

救急隊にも「あの、末期がんで在宅看取り予定なんですが」と話すと、
救急隊「自分たちは救命が仕事ですので、呼ばれた以上、救命しないといけませんので、救命しますね」
との返答だった。

もう完全に意味がわからん

救命して、助かったとしてもその後が辛い。

どしたらいいか。

搬送先の病院でも

「ここに来られても何も出来ないので、もともとかかりつけの病院に明日搬送します」と救急Dr.が話す。

おいおい、待て。

今まで頑張ってあの病院から主治医を変更して、
やっと在宅看取りに出来たのに、親父が家で死ねなくなる。

こればかりは絶対阻止せねば。
で、姉と母ちゃんを説得。

挿管されたら最後、もうそのままだということや
病院で一人か最大で二人の付添いで亡くなる現実が待っていること。

10分程話してようやく納得してくれた。

で救急Dr.にDNARで自宅退院でと伝えた。

救急車の中でJCSⅡ-20までは意識回復していたが、

その後の吸引でJCSⅡ-10までは回復。

帰宅途中、介護タクシーでは

親父「僕は救急で運ばれたのか?全然覚えていない」

と話し、降りる際には介護タクシーの運転手に

親父「ありがとうございました」と言って、

車椅子から自分で立ち上がって起き上がろうとする始末w。

まあ、さっきまで三途の川をほとんど渡り終えてた人が

こんなに元気になったんだから嬉しいことこの上ない。

自宅についたのは5時30分を回っていた。

その後、まるで何事もなかったかのように 眠りにつく親父。

訪問看護の方が吸引器を持ってきて、吸引指導をしてもらった。

痰の量が多い。あまりにも多すぎる。

救急ではCO2がだいぶ溜まっていると話していた。

親父の眠気はCO2ナルコーシスの影響なんだろうなと思った。

でも、それでいい。

家族全員の連携プレーで最悪の事態は免れた。

母の心理的受容にも数日は欲しい。

その後、親父が亡くなるまでは自分と姉で吸引を交代で行った。

鼻腔からの吸引は僕しか出来なかった(超気管に入りにくい)ので、

ほとんど実家から出ずに対応した。

そんな状態でも

親父はベッドからあれこれ指示出しして

通帳を見ながら

親父「この通帳からはいくらおろしてきて」

親父「この通帳は生活費の引き落としされる通帳だから」

などと、終活作業をベッドの上から行った。

その指示を受けながら「よくそんな状態でそこまで頭回るよな」と

本当に感心した。

その翌日。家族、親戚に囲まれて親父は眠りについた。

亡くなる人の心音を最後まで聞いた。

心臓の音まで、ゆっくり、静かに消えていった。

親父を囲んでいる皆が、一人ひとり次々に「ありがとう!ほんとにありがとう」と親父に声をかけた。

無事に自宅で看取れて、安心したと同時に、

でも、どんな状態ででも生き続けて欲しかったという
相反する感情もあった。

今、親父が息を引き取る時の動画をはじめて再生して見たが、

やっぱり辛い。

今、泣きながらこれを書いている。

死っていうのは、

どんなにわかっているつもりでも、準備していても

直面すると辛い。

だから、普段はできるだけ避ける。考えないようにしている。

死を完全に受け入れるのって、人間には出来ないような気がする。

多くは逃避というか、向き合わずに知らんフリしているだけ。

その方が心が楽。

あと、神様いないと、やってらんない。

マジで。

人間のやる業なんて所詮小手先。ショボい。

「全ては御手の中」

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